手紙日和

今日は母の日ということで、熊本にいる妹が母にプレゼントを贈ってきました。その中に手紙が貼り付けられていて、なかなか手紙は良いものだと思い、今回のネタにしてみました。



さて、手紙は古今東西いろいろな物語を生んできました。
例えば、平安時代の貴族の生活では、手紙は社交のツールとして欠かせない役割を担っています。


浅学なので時代を一気に下ると、夏目漱石の「こころ」では先生の長い長い手紙が出てきます。あまりに長すぎて、あの手紙は不自然に分厚いものになるようです。そんな手紙を頭から読まなくて正解のようにおもいます。


現代では、東野圭吾の「手紙」がいい味だしてます。この作品は獄中にいる人の話だったので、連絡手段として手紙が使われていますが、それ以外の場では手紙は使われないかというとそうではないように思います。


今思い出しても、毎年の年賀状は未だにもらいます。フランスに留学したという後輩とか、兄弟と写ってる写真がシュールな同級生とか。


メールよりも少しだけ、送り手に近くなれたように思われます。


昔のことが思い出され、少し感傷にふけっている今日この頃です。