悩み出るとき

最近受けた講義の中で、印象に残ったものの一つに、ある宗教団体の方を招いたものがありました。
その宗教では輸血は禁止されているということでした。
私自身は宗教団体の方の意見はあまり理解できませんでした。しかし輸血されることに強い抵抗を感じていることだけが理解できました。


例えば、血管の中に入れるのはトマトジュースでなければならないという宗教があるとします。この宗教を信じている患者さんに医療従事者ができることは、せいぜいトマトジュースを血管に入れることの危険性を説明すること、そしてどうにかして輸血ができないか考えること、そしてどうしてもだめな場合は、その患者さんの意思を尊重しながら、できるだけ救命できるように最善の方法を尽くすこと(無菌のトマトジュースを作るとか、そもそもトマトジュースを入れないとか)しかないのではと考えていました。折角救命できるのに、と患者さんに思うことは、医師のエゴのように思っていました。


論理的には今でも間違っていないと思います。
しかし先日、友人との会話で考えるものがありました。


毎晩頭痛がすると、その日友人が相談してきました。
話を聞くと、日が暮れる頃から頭痛がする、毎日ハードワークなどなどの話を聴いて、疲れのせいだと思うから、休んでみて、それでもだめなら病院に行けば、と言ってみました。しかし次の日には、昨日アニメ見てて結局寝るのが遅くなったと言ってました。


その話を聞いて若干腹が立ちましたが、(患者さん)の好きなようにするという自分の方針が脆くも崩れ去ったことに気がつきました。


患者さんの望みを尊重するか、
患者さんに死なないで欲しいと願うか、
どちらにも医師には必要だけれど、ときに対立する思いを抱きながら医師をすることを予感した、今日この頃でした。